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東京高等裁判所 平成9年(行ケ)159号 判決

スイス連邦

8180 ビューラッハ、アッカーシュトラーセ 6

原告

シュナイダー(オイローペ) アクチェンゲゼルシャフト

代表者

ハイジ ハフシュミット

レナ ヤウス

訴訟代理人弁護士

鈴木修

那須建人

同弁理士

内田博

東京都千代田区霞が関三丁目4番3号

被告

特許庁長官

伊佐山建志

指定代理人

穴吹智子

加藤孔一

後藤千恵子

廣田米男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための付加期間を30日と定める。

事実

第1  原告が求める裁判

「特許庁が平成7年審判第19162号事件について平成9年1月23日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

第2  原告の主張

1  特許庁における手続の経緯

原告は、平成2年10月31日に発明の名称を「ステント及びステント導入用カテーテル」とする発明(後に「ステント」と補正。以下「本願発明」という。)について特許出願(平成2年特許願第295131号。1989年11月1日スイス国においてした特許出願に基づく優先権を主張)をしたが、平成7年5月9日に拒絶査定を受けたので、同年9月4日に拒絶査定不服の審判を請求し、平成7年審判第19162号事件として審理された結果、平成9年1月23日に「本件審判請求は、成り立たない。」との審決を受け、同年3月5日にその謄本の送達を受けた。なお、原告のための出訴期間として90日が付加された。

2  本願発明の特許請求の範囲1(別紙図面参照)

血管手術用の血管内ステントであって、バルーンカテーテルのバルーンに取付けられて皮膚を通して使用可能であり、その固定のために、前記バルーンの膨脹により拡張可能であり、前記ステントが、45℃ないし75℃の範囲に融点がありあるいは軟化する物質から製造された、2ないし10cmの長さの中空の円筒形構造であることを特徴とするステント。

3  審決の理由

別紙審決書「理由」写しのとおり

4  審決の取消事由

先願明細書に審決認定のとおりの記載があることは認める。

しかしながら、審決は、先願明細書記載の技術内容を誤認した結果、本願発明は特許法29条の2第1項の規定に該当すると判断したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)審決は、本願発明と先願明細書記載の発明(以下「先願発明」という。)は、「血管手術用の血管内ステント」に関するものである点において一致すう旨認定している。

しかしながら、先願明細書に、「健康によい、冠動脈への適用における使用を越えて広い用途がある、ステントの使用に代るものがここに見い出された。」(5頁右上欄22行ないし24行)、「PEPS法は血管の有効性を達成する際のステント及びステンティング法とはかなり相違し、かつ着想上それらを越える進歩を提供するものである。」(11頁右上欄2行ないし4行)と記載されていることから明らかなように、先願明細書記載の高分子製品は、本願発明が対象とするステントとは、技術的意義を異にするものである。

これを具体的にいうと、本願発明のステントは、血管手術に際して、管腔の狭窄部分を拡張するために適用されるものである(そのため、ステントの内圧は比較的高圧が必要である。)。これに対して、先願明細書記載の高分子製品は、先願明細書に、「本発明は血管形成術の後に起こる再狭窄の問題に対する(中略)1つの解決法を提供するものである。具体的に述べると、本発明は新規な管腔内舗装及び封止法(PEPS)を提供するもので、これは関係した血管の内表面への高分子材料の適用を含む。」(5頁左下欄1行ないし6行)と記載されているように、血管手術によって狭窄部分が除去された後の管腔に適用されるものである(そのため、高分子製品の内圧は比較的低圧でよい。このことは、先願明細書に「被覆操作には約0.005~0.5mmのポリマー層が必要とされ」(10頁右上欄21行、22行)と記載されていることからも明らかである。ちなみに、本願発明のステントは、0.6~1.0mmの厚さが必要である。)。

このように、本願発明のステントと先願明細書記載の高分子製品とは、適用される場面が異なるものであるから、両者が「血管手術用の血管内ステント」に関するものである点において一致する旨の審決の認定は誤りである。

(2)審決は、本願発明と先願発明とは「45℃ないし75℃の範囲に融点がありあるいは軟化する物質から製造された」ものである点で一致する旨認定している。

しかしながら、先願明細書記載の高分子材斜であるポリカプロラクトンは、融点が60℃であるから、これに「約60~80℃の生理食塩水」(11頁左下欄7行)を適用すれば、完全に溶解する(その結果、前記のように管腔の舗装及び封止が可能となるのである。)。これに対して、本願発明のステントは、「45℃ないし75℃の範囲に融点がありあるいは軟化する物質から製造され」ているが、あくまでも、「中空の円筒形構造」を維持しながら、血管を拡張するものである。

このように、本願発明のステントと先願明細書記載の高分子製品とは、それを形成する物質の性状が異なっているから、審決の上記認定も誤りである。

(3)審決は、先願明細書記載の高分子製品の長さは、本願発明の要件であるステントの長さと一致する旨判断している。

しかしながら、本願発明がステントの長さが2cm以上であることを要件とするのに対して、先願明細書には、「長さ10~20mm(中略)の予備展開管が有用であろう。」(10頁右上欄18行、19行)と記載されているにすぎず、長さが20mmを越える高分子製品については、示唆すらされていない。

そして、先願発明の特許出願前に実用化されていた高分子製品が、いずれも2cmに満たない長さであったことを考えれば、「2cm」のただ一点で重なることを捉えて、先願明細書記載の高分子製品の長さは、本願発明の要件であるステントの長さと一致すると判断するのは、不当である。

第3  被告の主張

原告の主張1ないし3は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

1  原告は、先願明細書記載の高分子製品は、本願発明が対象とするステントとは技術的意義を異にする旨主張する。

しかしながら、先願明細書には、血管拡張用あるいは血管手術用に使用されていた金属ステントの欠点を改善するために、ステントを形成する材料を、ポリカプロラクトン等の高分子材料に換えることが記載されているのであるから、原告の上記主張は理由がない。

この点について、原告は、本願発明のステントは、血管手術に際して管腔の狭窄部分を拡張するために適用されるものであるのに対して、先願明細書記載の高分子製品は、血管手術によって狭窄部分が除去された管腔に適用されるものであって、両者は適用される場面が異なる旨主張する。

しかしながら、先願明細書には、ポリカプロラクトン等によって形成される高分子製品を治療箇所に配置した後に、血管を拡張して血流を改善すること、血管内に残された高分子製品は、構造支持体として機能することが記載されているから、原告の上記主張は誤りである。

なお、原告は、本願発明のステントの内圧と先願明細書記載の高分子製品の内圧との差について主張しているが、同程度の構造的支持能を持つ管体であっても、それを形成する高分子材料によって、変形をもたらすために必要な圧力が異なるのは当然のことであるから、原告の上記主張は、両者が技術的意義を異にすることの論拠とならない。また、原告は、本願発明のステントの厚さと先願明細書記載の高分子製品の厚さとを対比しているが、先願明細書には「構造上の支持を与えるように設計される層は0.05mmから5mmまで変わることができる。」(10頁右上欄22行ないし24行)と記載されており、先願明細書記載の高分子製品の厚さが、本願発明のステントの厚さと重複することは明らかであるから、この点も、両者が技術的意義を異にすることの論拠とはならない。

2  原告は、先願明細書記載の高分子材料であるポリカプロラクトンは、融点が60℃であり、これに「約60~80℃の生理食塩水」を適用すれば完全に溶解するのに対して、本願発明のステントは、「中空の円筒形構造」を維持しながら血管を拡張するものであるから、両者を形成する物質は性状を異にする旨主張する。

しかしながら、本願発明の特許請求の範囲1には、ステントを「45℃ないし75℃の範囲に融点がありあるいは軟化する物質から製造」することは記載されているが、これに適用する加熱温度は限定されていないから、加熱によって完全に溶解するものも除外されないことが明らかである。したがって、原告の上記主張は、本願発明の技術内容に基づかないものである(なお、先願明細書には、「約60~80℃の生理食塩水」を適用した後、これを除去すれば高分子製品が望ましい形で管腔に残されることが記載されているのであって、生理食塩水の適用によって高分子製品を完全に溶解すべきことが記載されているわけではない。)。

3  原告は、本件発明のステントの長さと先願明細書記載の高分子製品の長さが、「2cm」のただ一点で重なることを捉えて、両者の長さが一致すると判断するのは不当である旨主張する。

しかしながら、両者の長さが2cmの点で重なることを否定する余地はない。のみならず、先願明細書には「冠動脈用には、長さ10~20mm(中略)の予備展開管が有用であろう。」(10頁右上欄18行、19行)と記載されているのであって、高分子製品の長さが20mmを少しでも超えると支障が生ずる旨は記載されていない。まして、冠動脈以外の血管手術については、どの程度の長さの高分子製品が有用であるか、記載されているわけではないから、原告の上記主張は失当である。

理由

第1  原告の主張1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の特許請求の範囲1)及び3(審決の理由)は、被告も認めるところである。

第2  甲第2号証(明細書)及び第3号証(手続補正書)によれば、血管手術後の血管の閉塞、あるいは再閉塞を防ぐために有用とされる経皮ステントは、ステンレス製でカートリッジ状の格子を備えており、折り畳まれたバルーンカテーテルに取り付けられ、皮膚を通して血管の所望の位置に運ばれた後、バルーンカテーテルを膨脹させることによって、直径約3mmまで拡げられるものであって、このようにして挿入され固定されたステントは、血管内に残され、新たに形成される血管内膜に覆われることになるが(明細書3頁5行ないし17行)、本願発明は、より安全かつ簡単に使用できると同時に、低価格で製造できるステントを創案することを目的として(同4頁2行ないし4行)、その特許請求の範囲1記載の構成(手続補正書2頁3行ないし7行)を採用したものと認められる(別紙図面参照)。

第3  そこで、原告主張の審決取消事由の当否について検討する。

1  原告は、本願発明のステントは、血管手術に際して官腔の狭窄部分を拡張するために適用されるものであるのに対して、先願明細書記載の高分子製品は、血管手術によって狭窄部分が除去された管腔に適用されるものであって、両者は適用される場面が異なる旨主張する。

検討すると、甲第4号証によれば、先願発明は「生分解性高分子材料による管腔内封止」に関するものであって、先願明細書には次のような記載があることが認められる。

a  「特許請求の範囲 18.

管腔内を舗装及び封止する際に使用するための少なくとも部分的に予備形成されている高分子製品。」(2頁右上欄11行、12行)

b  「本発明は諸器官、器官の諸構成要素、その他の諸組織腔の内部を生体内で舗装及び封止する新規な方法、装置及びこの方法に使用するための部分的に予備形成された高分子製品に関する。」(3頁右上欄4行ないし7行)

c  「PTCA(判決注・経皮的冠動脈内腔拡張術。3頁右下欄13行参照)の更に一般的な、そして大きな制限要因は血管の閉じた状態への進行性転換であって、これによりその処置で達成された利益が無効にされてしまう。このより漸進的な再び狭ばまって行く過程は“再狭窄”と称される。」(4頁左上欄21行ないし25行)

d  「再狭窄の時間推移を調べると、それは典型的に初期の現象で、ほとんど例外なく血管形成術続く6カ月以内に起きていることが示された。この6カ月の期間を越えると、再狭窄の発生は極めてまれである。」(4頁右上欄2行ないし6行)

e  「1987年に“冠動脈内ステンティング(Intracoronarystenting)”と称される機械的アプローチがスイスの研究者によってヒトの冠動脈再狭窄に対して導入された。冠動脈内ステント(stent)とは細いワイヤー、典型的にはステンレス製のメッシュから作られた管状ディバイスである。」(4頁牢下欄3行ないし8行)

f  「金属ステントは恒久的な血管内スカフォールド(scaffold)として機能する。金属ステントはその材料特性に基いて血管壁に対して構造安定性を与え、かつそれに対する直接的な機械的支持を与える。」(4頁左下欄22行ないし25行)

g  「パルマッツ(判決注・発明者の名。4頁右下欄7行参照)デバイスのような恒久的移植片と結び付いた合併症は材料の選択、即ち金属がステンレス鋼かという問題(中略)に由来する。主たる制限は非回収性、非分解性の異物が血管形成術後主に6カ月の期間に限定される再狭窄と戦うために血管中に恒久配置されることにある。全ての恒久的移植ディバイスに共通する固有の重大な危険がある。最近の研究は更に、媒質、即ち血管の中央動脈層の萎縮が移植後に与えられる継続的な横方向膨張力に基因して金属スティンティングと結び付いた1つの特定の合併症として起ることがあることを明らかにした。」(4頁右下欄13行ないし23行)

h  「金属ステントは広範囲に変わる管腔内部性状、複雑な表面、屈曲、湾曲又は分岐には順応できない比較的硬い、非可撓性の構造支持性を与える。金属ステントのこれら確認された危険及び制限は冠動脈に適用する際にそれらの有用性を著しく制限した。」(5頁右上欄10行ないし14行)

i  「本発明は血管形成術の後に起こる再狭窄の問題に対する、金属ステントと関連した問題を導入しない1つの解決法を提供するものである。具体的に述べると、本発明は新規な管腔内舗装及び封止法(PEPS)を提供するもので、これは関連した血管の内装面への高分子材料の適用を含む。この方法によれば、高分子材料は(中略)少なくとも部分的に予備形成された高分子製品として血管の管腔に導入され、そして元の狭窄点に配置される。高分子製品は次に血管の内表面に整合し、かつその内表面と緊密な接触を保つよう再成形され、かくして舗装及び封止被膜が得られる。」(5頁左下欄1行ないし12行)

j  「PEPS法は再狭窄と関連した使用に限定されず、局所構造支持、平滑な表面、改善された流れ及び病変部の封止に与えるべき任意の中空器官に効果的に使用することができる。」(5頁左下欄13行ないし16行)

k  「PEPS法の封止及び舗装は(中略)PCTA(「PTCA」の誤記と考えられる。)後の急性血管再閉鎖の治療に限定される訳ではない」(10頁左上欄16行ないし19行)

以上の記載によれば、先願明細書記載の高分子製品が、再狭窄のおそれを防止しながら、管腔の狭窄部分を拡張する手術に際して適用されるものであることに、疑いの余地はない(前記iの「元の狭窄点」との記載は、手術前の管腔の狭窄部分を指すものと解すべきである。)。したがって、原告の前記主張は矢当である。

この点について、原告は、本願発明のステントは、内圧が比較的高圧が必要であって、厚さが0.6~1.0mmであるのに対して、先願明細書記載の高分子製品は、内圧が比較的低圧であるから、その厚さは約0.005~0.5mmでよい旨主張する。

しかしながら、同程度の構造的支持能を持つ管状体であっても、それを形成する高分子材料によって、変形をもたらすために必要な圧力が異なるのは当然のことであるから、原告の上記主張は、本願発明のステントと先願明細書記載の高分子製品とが、技術的意義を異にすることの論拠とはなりえない。また、本願発明の特許請求の範囲1においては、ステントの厚さは何ら特定されていないうえ、前掲甲第4号証によれば、先願明細書には、「被覆操作には約0.005~0.5mmのポリマー層が必要とされ、一方構造上の支持を与えるように設計される層は0.5mmから5mmまで変わることができる。」(10頁右上欄21行ないし24行)と記載されていることが認められ、先願明細書記載の高分子製品の厚さが、原告主張の本願発明のステントの厚さと重複することは明らかであるから、この点も、両者が技術的意義を異にすることの論拠とはなりえない。

2  原告は、先願明細書記載の高分子材料であるポリカプロラクトンは、融点が60℃であり、これに「約60~80℃の生理食塩水」を適用すれば完全に溶解するのに対して、本願発明のステントは、「中空の円筒形構造」を維持しながら血管を拡張するものであるから、両者を形成する物質は性状を異にする旨主張する。

しかしながら、本願発明の特許請求の範囲1には、ステントを「45℃ないし75℃の範囲に融点がありあるいは軟化する物質から製造」することは記載されているが、これに適用する加熱温度は限定されていない。そうすると、本願発明は、加熱によって完全に溶解するものも除外しておらず、したがって、「中空の円筒形構造」を維持しながら血管を拡張するものに限定されないから、原告の上記主張は、本願発明の技術内容に基づかないものといわざるをえない。

のみならず、ポリカプロラクトンは、先願明細書において、高分子材料の1例として挙げられているのであるが、前掲甲第4号証によれば、先願明細書には、次のような記載があることが認められる。

a  「ポリカプロラクトンがPEPS法における使用に、特に再狭窄症の予防に極めて適した生体吸収性のポリマーである。ポリカプロラクトンは十分な機械的強さを有し、急冷条件下でもほとんど結晶性である。」(6頁左下欄13行ないし17行)

b  「ポリカプロラクトンがいったん展開されると、その結晶構造で一定の外径が維持される。」(6頁左下欄21行ないし23行)

c  「ポリカプロラクトンは(中略)PEPS法における使用に好ましいポリマーである。ポリカプロラクトンは結晶融点が60℃であり、一時的加熱と色々な程度の機械的変形又は個々の状況が求める通りの適用を助長する多数の方法で生体内で展開することが可能である。」(6頁右下欄8行ないし14行)

d  「約60~80℃の生理食塩水を閉塞用カテーテル、又は本発明によるカテーテルを用いる場合は送りカテーテル170の管腔を通して送りカテーテル、バルーン及びポリカプロラクトン管を取り囲む領域に注入する。ポリカプロラクトン管が柔軟になったら、送りカテーテルのバルーンを膨脹させてポリカプロラクトンスリーブを内壁に対して押し出し、それによって血管を局所封止及び/又は舗装する。ポリカプロラクトンは伸び広がり及び/又は流動し、血管の内表面に整合し、表面不規則部に流入し、その中を満して“注文通り”の適合工合を作り出す。更に、展開されたPEPSポリマーの内表面は平滑で、増大した血管(管腔)横断面直径とレオロジー的に有利な表面を与えて血流を改善する。加熱された生理食塩水を除去すると、ポリマーは再結晶化して血管壁内部に舗装された表面を与える。展開用カテーテルのバルーンを次にしぼませると、ポリカプロラクトン層が適所に残される。閉塞用カテーテルのバルーン部がしぼませられてから、血流を正常に戻し、そして展開用カテーテルを取り除くと再結晶したポリカプロラクトン層が血管内にのこされた。」(11頁左下欄7行ないし右下欄2行)

以上の記載によれば、先願明細書記載の高分子製品が、実質的に「中空の円筒形構造」を維持しながら、血管を拡張する作用を行うことは明らかであって、この点において、本願発明のステントが行う作用と何ら変わりがないというべきである。

したがって、原告の前記主張は失当である。

3  原告は、本件発明のステントの長さと先願明細書記載の高分子製品の長さが、「2cm」のただ一点で重なることを捉えて、両者の長さが一致すると判断するのは不当である旨主張する。

しかしながら、両者の長さが2cmの点で重なることは、否定の余地のない事実である。

のみならず、前掲甲第4号証によれば、先願明細書には、次のような記載があることが認められる。

a  「特許請求の範囲 29.

スリーブが長さ10~20mmであることを特徴とする、請求の範囲第27項又は第28項に記載の高分子製品。」(2頁左下欄15行ないし17行)

b  「これらの製品は特定の適用に従って色々な物理的形状及び大きさのいずれを有していてもよい。」(5頁左下欄25行ないし右下欄2行)

c  「ポリマースリーブの最初の予備展開デザイン及び大きさは所望とされる最終の展開された物理的、生理的及び薬理的性質に基づいて特定の適用によって指定される。冠動脈用には、長さ10~20mm(中略)の予備展開管が有用であろう。」(10頁右上欄14行ないし19行)

以上の記載によれば、先願発明が、高分子製品の長さは、それを適用する病変部の態様に応じて適宜に決定すべきものとしていることは明らかである。そして、先願発明の特許請求の範囲29に記載されている「スリーブが長さ10~20mmであること」は、冠動脈手術に適用する高分子製品の望ましい長さとして記載されているのであって、先願発明において、20mmを越える長さの高分子製品が排除されていないことは当然であるから、原告の前記主張も、採用することができない。

4  以上のとおり、本願発明の要件は、すべて先願明細書に記載されていると認められるから、本願発明は特許法29条の2第1項の規定に該当するとした審決の認定判断は、正当であって、審決には原告主張のような違法はない。

第4  よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は、失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための期間付加について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条、96条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結日 平成10年11月10日)

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 春日民雄 裁判官 宍戸充)

別紙図面

〈省略〉

第1図は本発明によるステントの見取図、

第2a図及び第2b図は本発明による膨張前と後とのステントを有したバルーンカテーテルの前端を示す図、

第3a図及び第3b図は膨張の前と後との、挿入されたステントを有する血管を通る断面図の図式図である。

1…ステント、1’膨張したステント、2…カテーテルの軸、3…加熱可能なバルーンカテーテル、3a…バルーンの外部表面、4…標識、5…血管。

理由

1、 手続の経緯・本願発明の要旨

本願は、平成2年10月31日(優先権主張1989年11月1日 スイス国)の出願であって、その発明の要旨は、平成7年10月4日付けの手続補正書によって補正された明細書及び図面の記載からみて、その特許請求の範囲第1項に記載された次のとおりのものと認める。

「血管手術用の血管内ステントであって、バルーンカテーテルのバルーンに取付けられて皮膚を通して使用可能であり、その固定のために、前記バルーンの膨張により拡張可能であり、前記ステントが、45℃ないし75℃の範囲に融点がありあるいは軟化する物質から製造された、2ないし10cmの長さの中空の円筒形構造であることを特後とするステント。」

2、 引用例

これに対して、原査定の拒絶の理由に引用した、本願の出願の日前の他の出願であって、その出願後に出願公開された特願平1-509258号(特開平4-501670号公報)の願書に最初に添付した明細書又は図面(以下、「先願明細書」という。)には、次のことが記載されている。

「金属ステントは広範囲に変わる管腔内部形状、複雑な表面、屈曲、湾曲又は分岐には順応できない比較的硬い、非可撓性の構造支持性を与える。金属ステントのこれら確認された危険及び制限は冠動脈に適用する際にそれらの有用性を著しく制限した。」(公報第5頁右上欄10~14行)

「本発明は血管形成術の後に起こる再狭窄の問題に対する、金属ステントと関連した問題を導入しない1つの解決法を提供するものである。具体的に述べると、本発明は新規な管腔内舗装及び封止法(PEPS)を提供するもので、これは関係した血管の内表面への高分子材料の適用を含む。」(公報第5頁左下欄1~6行)

「特許請求されるポリカプロラクトンがPEPS法における使用に、特に再狭窄症の予防に極めて適した生体吸収性のポリマーである。ポリカプロラクトンは十分な機械的強さを有し、急冷条件下でもほとんど結晶性である。ポリカプロラクトンは、その構造上の安定性にも係わらず、旧来のステンティング法で使用された金属より剛性がはるかに小さい。これにより、鋭利な又はでこぼこの端縁による実際の血管壁の損傷の危険が最小限に抑えられる。」(公報第6頁左下欄14~21行)「ポリカプロラクトンはその達成された臨床上の受容性が有利で、FDAの承認が得られる進んだ段階に来ているので、それはPEPS法における使用に好ましいポリマーである。ポリカプロラクトンは結晶融点が60℃であり、一時的加熱と色々な程度の機械的変形又は個々の状況が求める通りの適用を助長する多数の方法で生体内で展開することが可能である。」(第6頁右下欄8~14頁)

「PEPSの方法は高分子材料、好ましくはポリカプロラクトン等の生分解性ポリマーの単独又は他の生分解性高分子材料と混合して経皮的適用を含むのが好ましい。」(公報第7頁左下欄14~16行)

「使用時には、少なくとも部分的に予備成形された高分子層又は部分的層がバルーン107を覆って配置され、そしてそのカテーテルが組織の管腔中の適切な位置に挿入される。導管103を通る流体の流れはバルーン107を膨張させ、ポリマー層をそれが組織管腔の壁に接触するまで引き延ばし、変形させる。他方の開口105と導管103高分子スリーブの再成形を、例えば加熱された流体の流れを供給してスリーブを軟化し、かつスリーブを更に容易に引き延ばし得るようにする。」(第8頁左上欄13~22行)

「動脈、即ち冠動脈、フェメロイリアック(femeroiliac)動脈、頚動脈及び脊椎基底動脈に加えて、PEPS法は静脈、尿管、気管支、・・・ファロピオ管の内部を舗装するなど、他の適用にも利用することができる。」(公報第10頁左上欄11~16行)

「冠動脈用には、長さ10~20mm、直径約1~2mmの予備展開管が有用であろう。得られる生体内ポリマー層の初期肉厚は個々の適用の性状に依存して変わる。」(公報第10頁右上欄18~24行)

「約60~80℃の生理食塩水を閉塞用カテーテル、又は本発明によるカテーテルを用いる場合は送りカテーテル170の管腔を通して送りカテーテル、バルーン及びポリカプロラクトン管を取り囲む領域に注入する。ポリカプロラクトン管が柔軟になったら、送りカテーテルのバルーンを膨張させてポリカプロラクトンスリーブを内壁に対して押し出し、それによって血管を局所封止及び/又は舗装する。」(公報第11頁左下欄7~14行)

3、対比・判断

そこで、本願発明と先願明細書に記載された発明とを対比する。

先願明細書に記載された発明は、前記摘示したように、血管拡張用の血管内ステントに関するものであり、先願明細書には、そのステントについて、バルーンカテーテルのバルーンに取り付けられて皮膚を通して使用する、金属ステントの再狭窄等の欠点を改善する、ポリカプロラクトン等の生分解性高分子材料からなるものであることが記載され、その使用時には、加熱により軟化し、バルーンの膨張により拡張して、その後適用箇所に固定されることが記載されている。また、その加熱による軟化については使用するポリカプロラクトンの「結晶融点が60℃」であること、「約60~80℃の生理食塩水」によって「ポリカプロロラクトン管が柔軟」になることが記載されているから、「約60~75℃」で軟化するステントは、本願発明における「45℃ないし75℃の範囲に融点がありあるいは軟化する物質から製造された」ステントであることが示されていると言えるし、そのステントの管の形状についても、長さ、直径及び肉厚で表現されている点等からみて、中空の円筒形構造である。

してみると、本願発明と先願明細書に記載の発明とは、「血管手術用の血管内ステントであって、バルーンカテーテルのバルーンに取付けられて皮膚を通して使用可能であり、その固定のために、前記バルーンの膨張により拡張可能であり、前記ステントが、45℃ないし75℃の範囲に融点がありあるいは軟化する物質から製造された中空の円筒形構造であることを特徴とするステント」である点で一致する。

そして、ステントの長さについて、本願発明では、「2ないし10cm」であることを特定しているので、この点について更に検討する。

先願明細書中の「冠動脈用には、長さ10~20mm、直径約1~2mmの予備展開管が有用であろう」との記載からみて、長さ2cmのステントの場合には、本願発明における前記特定と重複するから、本願発明における前記特定した範囲内の長さのステントが示されていると言える。(なお、先願明細書においるステントの長さについての上限「~20mm」の記載は「冠動脈用に有用であろう」として記載されたものであるところ、先願明細書に記載のステントは冠動脈に限定されたものではなく、頚動脈等の他の動脈及び静脈の血管手術用にも使用し得るものであることが示されているから、20mmを超える長さのステントが記載されていないとは直ちには言えないものである。)

つまり、ステントの長さの点でも、本願発明と先願明細書に記載の発明とは一致するものである。

したがって、本願発明は、先願明細書に記載された発明と実質的な差異はない。

4、 むすび

以上のとおりであるから、本願発明は先願明細書に記載された発明と同一であると認められ、しかも、本願発明の発明者が上記先願明細書に記載された発明の発明者と同一であるとも、また本願の出願の時に、その出願人が上記他の出願の出願人と同一であるとも認められないので、本願発明は、特許法第29条の2第1項の規定により特許を受けることができない。

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